暇なときに書き直したりするかもしれないから、飽きるまで、未来日記にしておきます。
あれ、知的流民の話から、
人が組織化され、社会が出来上がっていく。規模が大きくなり、みんながみんな知っている人じゃなくなると、職分けのために選抜する必要があるわけ。対外的に危機にさらされていると、組織存続のために効率的にそれは行われるんだけど(行われない場合がほとんどかもしれない)、ある程度大きくなると組織滅亡なんて危機は感じられなくなってくる。結局、組織が安定してくると組織内淘汰が起こってくるわけ。組織は安定しているんだから、何も余計な能力で組織を変えようなんて人は要らないと。能力はあるにもかかわらず、体制側主流に組み込まれず不幸をみる人や、能力はないにもかかわらず、地縁血縁とか権力者に媚びるとか金銭!で体制主流側に組み込まれていい目を見る人が出てくる。で、能力はあるけど、それに見合う受けとりのない人たち(もちろん中には思い込みなんて人もいるだろう)の不満や不安が蓄積されていく。そして彼らは体制側非主流や、反体制側に取り込まれていく。
で、いかなる組織でも安定してるかもしれないが、時間が経つと腐っていってるのは確かだし、体制主流側が政策ミス(上層を救済、または利するために中下層を犠牲にするとか、資産を失わさせる−中流下流への転落とか)を起こし、被支配階層(中下層)に暴動が発生すると、それに乗って、反体制側とか、体制側非主流が変革を起こすっていうパターンになると思う。変革も絶対君主制(体制、反体制の入れ替わり)だとコペルニクス的転回もありえるけど、民主制(体制側主流非主流の入れ替わり−江戸時代、戦後の自民体制)だと緩やかな変化しか起こらず、指揮的ではなく、事務的な部分の組織が変わらないと腐り落ちるのが遅れるだけかもしれない。
この知的流民を日本史で言うなら、平安末期の武士(体制側非主流と反体制)、鎌倉末期の新田足利氏(体制側非主流)、浄土真宗蓮如(反体制)とか、明治維新の元勲(反体制)とかでどうだろう?
別に知的という言葉を使うから、それは知識のみによるのではなくそれより発生する技術や資金も含める。日々生産される物資の余剰で賄われてる階級。そう考えれば、宗教団体、地方で力を蓄えた平安末期の武士、外国よりの技術をいち早く取り入れた薩長も入れてるのにおかしさはないだろう。

次に、変革の発生について、
社会の腐敗、政策ミスの度合い、知的流民の組織化度、不満の蓄積度、暴動の発生圧力数、対外圧力、きっかけ、これらをどう数値化したらいいかわからないが、社会組織が大きくなるほど、変革が発生するためのこれらの数値は大きくなっていくと思う。
反対にこの変革を抑える要素もあるだろう、文化度って言えばいいのか?それとも生活水準?想像力の欠如もありうるか?変革後のよりよい社会が想像できなければ、コストベネフィットを比べ動かない人たちもいるだろうし、失うものが少なければ少しのベネフィットで動く人たちもいるだろう。
社会の腐敗はなぜ起こるか、法の力<腐敗者の権力、またはペナルティが低いために権力を持ったものが腐敗する魅力に簡単に落ちてしまう。
政策ミスとは何か?
組織化度が高くなるためにはよりしろが必要だし、それは資金と知識と、人の犠牲となることが必要かもしれない。また正論をぶっていること。これも必要だろう。うそじゃ人は頭のいい人は集まらないよなぁ。
よりしろは,ガス抜きのようなところから発生するのか?たとえばタレントが金もらってけしからんと言っても何も行動しなければそれは単なるガス抜きぬきに過ぎない。ネットで叫んでも、同じか。一歩進んで、こうすべきである、と行動に移すところから始まる。でも地理的要因もあり始まるのは難しいかも。過去と違い意見が集まってもそれが物理的力と進むことは難しいな。
暴動の発生は連鎖する。
あとはきっかけ、上に書いた大きな政策ミスに対するデモ、体制側の横暴な取り締まりに対する下層民の暴動、物価の急激な上昇とかどうだろう。期待した為政者に対する失望もあるかも、その際敗れた人物がよりしろとなりて。人は慣れていくから、徐々に悪くなるじゃだめで、急激じゃないとだめだよなぁ。

最後に現在の状況について、
もう見知っているように、現在の世界のシステムを変革によってごっそり作り変えることは不可能である。緩やかななぎのあと、それとも火の海に包まれたあと、もう一度世界が再建されるのか?
崩壊は連鎖するのか?誰かが債務の利息を支払うのを拒めば、債権を持ってる人はどうなるのか?債務債権の変わりに貿易収支でも変わらないか?


変革には熱狂が必要だと。そして発火点を超えるのはいつ?