国鉄通り、その名のとおり、国鉄の駅の前方の通りだった。JRに社名変更後なんと呼ばれたかは知らない。駅を出ると右に日通の事務所、左に派出所と3階建の白い建物があったような。その前に市役所から連なる通りがあり、右に私鉄の終着駅、左に2個上の人の親がやってた食堂があった。この駅&食堂から次の信号までの商店街を国鉄通りと呼んでた。右のほうには、クリーニング屋、八百屋、散髪屋、時計屋、裁縫小物を売ってる店、薬局、乾物屋、左には八百屋の道を挟んだたな、某宗教団体の教会?、パン屋、魚屋、本屋、小僧寿し、位しか覚えていない。教会の敷地内には、友達の曽祖父?の像が建っていた。大正期にこの町の特産物を始めた人だが、その会社はつぶれてしまっている。食堂から横の路地に入ったところで、スポーツ品を売っている店と、揚げ物屋があった。また信号を超えたところ左に肥料屋、そして金物屋と醤油屋、八百屋と寺と風呂屋と運送会社があった。醤油屋の主人は中高の先輩だったが、その息子は5つ年上だったが、同じ中高には行かなかった。バブルのとき、主人の弟が息子と一緒に不動産屋をしており、醤油屋の敷地を担保に儲けたらしいが、崩壊後は案の定つぶれてしまって、敷地を取られた。そして今はマンションがたっているらしい。