松岡先生のこと、
知ってることは、戦後、徳島大学に医学部ができた年か翌年あたりの入学で、近くの裏通りに産婦人科を開業していたこと。10年程前になくなられており、息子さんが後を継いだと聞いたが、今検索したら出てこなかった。亡くなった後、前を通ったことがあるが古い建物も少し改築して変わっていたのを憶えている。子供の頃風邪を引いたらそこに連れられていた。病院の作り自体古いから、私が生まれる前からあったと思う。通りに面して右が住居、左が医院だったと思う。建物の中に入ると左が受け付け兼薬局、右が待合室になっている。冬場は待合室にストーブをたいていたのでそちらに行くが、それ以外のときは受付前の長いすに座ってまっていた。患者はいつも数人、決してはやっているとはいえなかった。右奥は病室に、まっすぐ奥にも部屋があるがそこに行った覚えはない。診療室は左奥にある。入って左に緑のベッド、右に先生が大きな机をバックに座っている。ベッドの上には血圧計があったと思う。そしていつも横に厚化粧、丸顔の看護婦(年齢不詳)が一人。看護婦は他にもいたと思うが、診療室には必ずこの方がいた。中学に上がるともう病院なんかに行かなくなったが、ここに2度ほど治療?にきた憶えがある。一つは高2のときか、土曜日体育の授業で左足を捻挫。家に帰ってから行った。治療はシップを貼るというもので1ヶ月ほどしたら痛みも引いたが、左足くるぶしあたりの骨が腫れた?ような感じになって、走ると痛み出していた。もう一つはお皿を割って右手首に3cmほどの切り口を作ったときのこと。れいの看護婦さんが見て、自殺でもしようとしたのと笑って言われたのを覚えている。傷口を3針ほどしか縫わなかったのと、できたかさぶたを勝手にはいだので目立つ傷口に残ってしまった。小学校のころ、風邪をひいてここに来ると、大抵診療は喉の奥に、ピンセットで薬をつけた綿を塗って、あとは注射くらいだったように思う。その後、薬局で自家製の包材とピンク色の甘い液体の飲み薬をもらっていた。


小学校のころ、よく中耳炎になっていた。そしてそのとき行った耳鼻咽喉科の病院を検索したが出てこなかった。建物も中もあまり記憶がない、ただ入り口の左に大きな、象やうさぎ、キリンの絵があったのを覚えている。